日本三大決戦長篠城設楽原火縄銃展示日本一


 
 日本三大決戦の一つ長篠、設楽原の戦いは新兵器3000丁さらに新兵法の三段撃ちを実行の織田軍、徳川軍を前に最強と云われた武田騎兵隊はなすすべもなく殲滅のシーンを各小説で幾たび読んだことだろう。火縄銃展示日本一。「一つの城が大勢の人の人生を変え戦国歴史の流れを大きく変えていく。この山間の小さな城が日本の歴史を大きく変える契機となりました」云々を現地で読み取る。城址に建つ展示室には長篠設楽原合戦ゆかりの武田軍の攻撃を防ぐ為城兵を鼓舞する為に叩いた太鼓に血の跡が残る「血染めの陣太鼓」城主奥平貞昌の命を受けて城を脱出、家康、信長の援軍を求め快諾を得て帰途城近くで武田方に捕らえられ磔刑となった鳥居強右衛門、戦いに関する遺品や文献が展示。日本100名城と云われた本丸跡を回るとJR飯田線後方に野牛郭跡、殿井、物見櫓址が対岸に。
青葉にむせ返るような本丸城址に佇み対岸武田軍五つの砦標識の彼方に目をやりしばし瞑目。
武田勝頼の猛攻撃に耐えた長篠城は命にかえて使命を果たした忠臣の鳥居強右衛門一色の感じがするほど戸外の看板、保存館も強右衛門が目立つ。武田側も勝頼でなく信玄の雄図が大きく幅を利かせ存在感の大きさがうなずける。
保存館入口には地元民が保存していたと云われる鬼瓦が並べられ決戦の前夜から戦いとその後戦跡全体が
わかる模型が展示され「血染めの陣太鼓」は城兵鼓舞の為叩き続け指から血が噴き出しても
さらに叩き続けた気合の品。奥平家第一の家宝であったとの説明に今一度見つめ佇む。
設楽原火縄銃展示日本一
長篠城激戦後織田、徳川連合軍(3万8千)武田軍(1万2千)武田軍の軍議で激論が交わされたが勝頼の決戦の意志で出撃決定。主戦場を設楽原に移し決戦開始。連合軍は馬防柵と
鉄砲で圧勝。長篠の戦は合理性追求の信長と伝統に固執した勝頼。
新時代旧時代の対決との説明にフォローされて館内をめぐる。

左「武田軍の大塚信玄塚」右「連合軍の小塚」
資料館のメッセージによると信長は「設楽原の合戦」に初めて3000丁の火縄銃を巧みに使い一日で勝敗を決めた様子が馬防柵や三段撃ち図等で解説。火縄銃の前に敗れた無念の武田方の名将勇士を忍ぶ。
毎年8月15日お盆には信玄塚で左写真の藁の松明を燃やして「火おんどり」の行事が
戦死者を弔うために執り行われ400年以上続いているようですが伝わってきます。