宝慶寺寂円禅師の心を受け継ぐ古刹

  日本曹洞宗第二道場宝慶寺(只管打坐)へ。 大谷哲夫著「永平の風」司馬遼太郎著「越前の諸道」に心惹かれ十数年ぶりの念願がやっと実り、苦行の生活をした寂円禅師の心を受け継ぎ心にひびいてくると云われる清貧の寺古刹の宝慶寺山門をくぐる。約700年前、中国天童山景徳寺から帰国の道元禅師に一年遅れで渡来し師の教えを一番正しく受け継いだ寂円禅師は道元禅師遷化後永平寺を去り銀杏峰の麓で石上18年の座禅は、修行僧が恐れをなすほどの厳しさであったと云う。「越前の諸道」の司馬遼太郎、須田剋田両氏の会話からも宝慶寺を訪れた時の寺の雰囲気、気持ちの引き締まるような文章の表現を感じとり人気のない観光化とは無縁の本堂で何も念じず無心で手を合わす。須田剋田画伯は「道元禅師に傾倒の念を抱き永平寺へ足を入れたが観光化の波に幻滅を感じ宝慶寺へと心急ぐ」「越前の諸道」より。かって永平寺納骨の折りはご先祖様への感謝、死者への祈りを念じたものであったが後日考えてみると無心の心になれるのは宝慶寺の雰囲気のせいであったか?


宝慶寺山門の扁額  【道元禅師が遷化後永平寺を下り銀杏峰に入り樹下石上にて座禅すること18年。たまたま山奥に遊猟していた下野守藤原氏(伊自良氏)が座禅される寂円禅師のお姿を見て帰依尊信の念を起し寺領を寄進して寺を建立し寂円禅師を開山として招いたのが宝慶寺の始まりです。その後伊良氏の地円渉弥により七堂伽藍が建立されました】(宝慶寺資料より)




落ち葉の一片もなく掃き清められた境内。薦福山宝慶寺の山門、左側は宝物殿。



僧堂(選仏場)座禅、食事、等を行う修行の中心となる建物




庫裡らしき建物の入り口にかけてある雲水?托鉢?笠


 

 宝物殿の拝観をあきらめていた矢先、僧侶の存在気配に救われ道元禅師肖像画拝観を依頼すると快く宝物殿の建物の鍵を開けて若い雲水さんが扉の入り口で待って見えました。陳列棚のガラス越しに道元禅師の一幅を見「寂円禅師が生涯所持した画像にw(゚o゚)w オオー!寂円の意志を重んじ宝慶寺が本山永平寺に渡さなかったと云われる一幅ですか」私の問いに明確な返事はなく申し訳ない質問と反省の気持ちを表すと「伊自良氏との出会いがなければ現在のこのお寺は存在しませんでした」と静寂の中手を合わされました。「薦福山宝慶寺開山禅師寂円禅師者大宋国洛陽之人也」ガラスの向こうの文字を読み取り雲水さんの丁寧な応対に感謝し修行の厳しさを問うと「今朝が初冠雪でした。私、2年目の冬を迎えますがこれからの季節修行は厳しさを迎えます」別れに際し頭を下げると柔和なお顔で合掌してくださいました。



宝物殿の内部、道元禅師直筆の自画像、寂円禅師の頂相収蔵


 天然記念物義雲杉、 右開祖寂円、左2代目義雲の墓
 

 帰宅後、社寺仏閣の書物を読んでいると名刹と云われる建造物が創建当時の風景、精神を維持していくのは観光化なくしては無理と思われる云々。宝慶寺に対する静かな感動を覚えながらHPを作成しました。