中津川の山城苗木城


梅雨の晴れ間、恵那中津川の山城苗木城跡へ(巨岩、巨石)。標高433メートルの藩主遠山直廉の苗木城は、別名赤壁城と呼ばれ白い壁ではなく赤土が剥き出しになっていたのは財政難の為であるとか。そこへ信長の妹(お市の方の妹)を室とした縁で信長に従属→信長死→秀吉に潰される→関ヶ原→東軍に従属後再興で12代にわたり苗木藩として明治まで続く(国史跡指定) 

(国史跡指定)苗木城跡の白い木札を目印に登城道の石垣→風吹き門→天主閣へと向かう道すがら石の要塞苗木の言葉が歩を進めるごと左右上下にと展開され、巨岩と石垣を積み自然の岩に合わせ岩山に石垣を組み合わせた見事な調和が繰り広げられ過去歩いた大きな山城跡よりも興奮。

最も驚いたのは本丸天主閣跡と云われる場所は清水寺のように懸け造りの木を組み立てた上に天主閣に相当する最上階屋根は板葺、壁は板張りの程度であったらしいこと。苗木藩のように一万石クラスでは天守閣は造れなかったとの解説や、一万石程度では知名度が低く日本100名城にも入っていないとのことであるが、廃城、古城の雰囲気が夏草生い茂る中に高まる。「夏草や兵どもが夢のあと」。



巨石組み合わせ 巨石巨岩の組み合わせ
 巨岩を多く利用して岩山に石垣の組み合わせのバランス、大きな岩が進むごとに見られ石垣の代わりとなっており石垣はほぼ完ぺきに近い形で残っており国史跡指定となっている。





此処からが登城道

三の丸から二の丸の内の碑大門跡に建つ

大石を巧みに配置大矢倉跡石垣
 登城道から石垣は曲線を描いており青葉の木陰を伝いながら風吹門へ。大矢倉跡は巨石と石垣を巧みに組み合わせてあり苗木上最大の櫓建築であり大手門である風吹門を防御する場所に造られた。
 大門跡 一番大きな門です。二の丸と三の丸を区切っている門で本丸へと向かいます。 領主の参勤出立等の大きな行事以外は開けません。  綿蔵門 年貢の真綿が保管されており夕方4時以降は閉められ本丸には進めなかった。

 駈門
 石垣と土塁の組み合わせ門大手門から三の丸への通用口

 坂下門 坂道の下にあったので坂下門と云われ二脚であった

 菱櫓門 本丸へと向かう坂道。此の下には千石井戸がありどんな日照りでも枯れなかった

 馬洗い石 敵に包囲され水不足に陥った時岩の上に馬をたて米を流し水が豊富であることを示した逸話が残る前面に馬の足を乗せる穴も見える

 本丸口門 全部で18の門があるが城内で最後の門となりこの先の通路脇は具足蔵武器蔵が並び建物の基礎はそのまま残っている

 天主台より  眺望は絶景木曽川の流れに赤い玉倉橋など二本の橋、街や中央高速道が望まれ恵那の山並みが映える



天主建物

 石垣、巨石、巨岩の遺構に目を見張りながら歩いた究極がこの天主台。ふたつの巨岩を土台として使用、穴が何ヵ所もあり木枠を組み入れ懸け造りの建築法。【二つの巨岩にまたがり三層となっている。一階は天主縁下、二階は玉蔵、三階は天主、三階は復元、岩穴は既存のまま現在三階は展望となっています】(説明板より)三階に登ると快晴の中、天空の城と云った感じ\(^o^)/

 このような天主台の造りは珍しいようです。僅か約120坪の限られたスペースに天主に相当する建物やその他の中枢施設がひしめきあっていたのも非常に驚き\(◎o◎)/!

 玄関門口跡、立て札の脇をを登ると本丸です。裏から本丸跡の石垣を見ても素晴らしさを感じる山城です。天主を仰ぎ見ると清水寺と、俊寛幽閉地鞍馬の奥の峰定寺の懸け造りが三重に巡り合う。