美旗古墳群を歩く

4世紀〜6世紀頃と推定される美旗古墳群は国の史跡指定。古墳群は豪族、伊賀氏または、名張氏のものと推定される。
県下最大の前方後円の馬塚古墳、堀に囲まれた毘沙門古墳。悲しみを秘めた女良(じょろう)塚。
 
南北朝時代に花咲いた能役者観阿弥の創座の地と云われる小波田に存在感を残す碑。観阿弥の死後佐渡に配流の憂き目を見た二代目世阿弥に思いをはせ、大和との重要地点であったこの山村に現存の古き扉を叩きたく歩く。さくら咲く好季節、初瀬街道の出入りを繰り返しながらの古墳巡りとなる。


県下最大の前方後円古墳は全長142メートル地方豪族が築いたらしい時代考証は4世紀〜6世紀。後ろの小高い丘が馬塚古墳 馬塚観音は、地元民の手厚い信仰心に支えられ色とりどりの供花を見る。グループに遅れじと先を急ぐ。

 江戸時代初期藤堂藩によりこの古墳一帯は農民入植により開発が行われ、当時の入植の労が現在に生き水路の恩恵を受ける。規模のスケールの違いこそあれスペインの水道橋の構想を思い浮かべる。山間を切り開きこの地をうまく収められた要因を、碌はないが武士の身分(無人足)でやる気を起こさせた制度の山之内一豊土佐藩の郷士制度をあらたに思い浮かべる。

美波多神社新田開発に入植した農民の氏神 舞い続けた観阿弥の碑のあるふるさとj公園 山ノ神神社の注連縄珍しいとみんなで話す


昔ながらの家並みが続き落ち着いた雰囲気 大和と伊勢を結び伊勢参りの重要路であった 用水路確保に昔の苦労がしのばれる