山城岩村城本丸跡
 山城の岩村城(別名霧ヶ城、女城主)は中世の城の中で三大山城と云われ、日本100名城の一つ。海抜721メートル。松山城や過去に歩いた高取城を思い描き、苔むした石垣、天然の峻嶮な地形を利用し霧が城の名前のごとく自然の地、気象条件を武器にした築城に目を見張るとともに山城には天主閣は不要の意が伝わる。


太鼓櫓
 岩村城の麓から約800メートルの本丸を目指す。歴代城主の中、小説その他で一般的に知名度のある女城主と呼ばれた信長の叔母、小姓の蘭丸の雪洞が眼をひく中、まず初門を目指す。信長の叔母が岩村城主遠山景任に嫁ぎ主なきあと武田と交戦、領民の命を救うため再婚、逆さ磔の処刑と反乱の人生を送った女城主、又城主3カ月弱で本能寺の変の蘭丸の事など思い描きながら日本100名城に選定の山城跡を歩く。上記の写真は戦国時代に戦乱に巻き込まれ女城主、蘭丸など幾人もの城主の入れ替わり後、江戸の平和な時代、山頂の必要性がなくなり城の麓に移され時を告げる為の太鼓櫓(復元)。




 藤坂は厳しい急坂で城守備の前衛の役を持ち一の門に至る300mの間

 戦争になると直ちに門を構え柵を巡らせて防衛陣地とした

 畳橋は左手前の石垣の場所です。敵が来ると板橋を取り外し進入路を断った。

 一の門から先が本城となり城に出入りする人を平時でも厳重に取り締まっていた。

 此処は守備第一線で一の門跡の櫓の上から街の動静を看視していた

 此の上は菱櫓跡。石垣は山の形に添って積み上げるので自然に菱形になるらしい
 大手門櫓跡は正門のことで城中最も重要な門の為防備は厳重。城内で最大の門標識の奥は大手櫓門があった。大手門脇は三重櫓があり壮観であったと説明。
 大手門内より城内へ大手道が一直線にのび右側の石積みのそり返りは武者返しとも扇の勾配とも呼ばれ一説には熊本城の造りに似ているとも聞く。

 龍神の井。城で最大の規模で昭和60年に復元し現在も水は絶えることがない

 霧が井。どんな日照りでも枯れないと云われ敵が攻めてきたとき秘蔵の蛇骨を井戸に投入すると霧が発生し敵をくらますとの言い伝えが残る。
  f龍の井戸。721mの山頂にありながら水は枯れることはなかった。

 岩村城最大の見どころと云われる虎口の6段壁は城を代表する光景と云われ6段に積まれた形状は石垣の崩壊を防いでいると解説にすべて自然を計算済みw(゚o゚)w オオー!。

 頂上は写真の真上、本丸の雰囲気が身近に迫る。。右は菱形積みの石垣その上に菱櫓があった。此処まで上り詰めると時空浴の思い胸一杯。