初瀬街道西峠越えコースは歴史の道


初瀬街道西峠越えコース歴史の道を大和朝倉駅下車、気温2度前後、時々粉雪が舞い落ちる中をウオーキング。「大阪、奈良の人々が長谷寺、伊勢へお参りする街道である云々」と案内書に紹介。私たちのグループは国道165線と時折交差しつつ並行する旧道、【白山神社】【12柱神社】【山口坐神社】などへ立ち寄り長谷寺参りをカットして【化粧坂】を上り下り再び165号線へ。江戸時代庶民が歩いた道を当時の面影をしのび榛原の宿場町まで歴史散策も交えお互いの持ち合わせの知識話題を交換しながら歩く。


 白山神社付近を雄略天皇が宮を営んだ候補地としての記念碑が建立され第21代雄略天皇「泊瀬朝倉宮跡」と(保田興重郎氏)推定。万葉集【20巻4500首の巻頭を飾る】(籠よみ籠もち掘串もよみ掘串もち・・・・・)この歌碑は小説などで度々登場の歌で諳んじているが5世紀の天皇が詩情たっぷりな表現が出来たであろうかなーと、意見は様々らしい。この辺りで読まれたとの通説?天皇自らが「我こそは告め家をも名おも」と草摘みの乙女に語りかけるであろうか?等と同行者と話題は尽きない。

 村人がお祭りしているといわれる【出雲の流れ地蔵さん】です。ご本尊は地蔵石仏。1811年の大洪水で初瀬川に流れてきたのを村人が祀っており上半身だけ地上にだし腰から下は地下に埋まっていると云う風変わりな地蔵堂として有名らしい。石灯篭は1840年の年号が刻まれており宿場町にふさわしい心安らぐ石仏に手を合わす。


【12柱神社】の石段の左右には石造の狛犬があり1匹は力強い咆哮の表情、力士4人が狛犬の台座を支え8基の相撲取りの人形はそれぞれ表情が異なりカメラを回し続ける。五輪塔が見受けられるが出雲出身の相撲開祖野見宿祢の墓処と云われる。塔は四面単独梵字仏20体が収められ全国でも珍しい塔と案内書。埴輪を考案をして殉死の悪習を中止させたと云われ土師氏の祖先となった。野見宿祢一色の感の境内であった。
その後 【元伊勢山口坐神社】へ。境内の由緒書きには垂仁天皇の御代倭姫命が天照大神を伊勢に遷す旅の途中で8年間滞在。元伊勢の云われに納得と、境内を後に昔の人々が伊勢を目指した道、【化粧坂】へ進む。


 【化粧坂】名の由来は長谷寺に参詣する女人が急坂で汗をかき化粧や身なりを整える場所であったからと云われる。藪椿?山茶花?花の散り方からは山茶花かなー風情を感じる山道を過ぎ再び国道165号線に出て最後の榛原を目指す。
【化粧坂】から榛原に向かう道端に名も知れぬ素朴なお地蔵さんや【角柄のお地蔵さん】が佇む国道165号線沿道。
 朝倉駅から榛原までの区間の古民家が地域色を感じさせてくれました。なまこ壁の重厚さ、【長谷街道2番目に古い建物】【泥棒除けの唐草模様壁】榛原に入ると、犬矢来、駒寄の格式の重さを感じる家、宣長が泊まった【あぶらや】近くの札の辻は【右いせ本かい道左あをこ江みち】の道標。間もなく榛原駅へ


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